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市川靖士の塗装への想い

塗料が好き。現場が好き。提案が好き。塗装は私の天職です。

僕は茨城県の水戸市で産まれました。僕は一人っ子でしたが、のびのびと育ててもらったと思います。僕は、小学校の二年生から絵を習っていて、色と触れ合う機会が多くありました。そのせいか、すでに、小学校の高学年くらいから「ペンキ屋さんになりたい」という夢を持っていました。色というものが好きで、それにこだわって生きていきたいと思ったのがきっかけです。

中学校を卒業して、高校に入学したのですが、半年で退学して、子供のころからの夢を追うことを選びました。退学してすぐに、16歳で水戸市の千波町にある会社に入社しました。社長と専務以外に職人さんが5人という会社で、とても厳しく指導していただきました。

現場は戸建住宅より、公共事業を中心として、外壁塗装をしている塗装会社でした。当時は、塗装会社とペンキ屋さんというのが分かれていましたが、時代の流れに沿って、ひとくくりにしてペンキ屋さんと呼ぶようになりました。

その会社で一番学んだことは、仕事をきっちりやるということです。当時厳しく言われたのが、「足場の上ではお尻をつくな」ということです。職人の作業というのはバタバタと作業をこなしていかなくてはならないので、座って作業をするなんてとんでもない、と言われました。また、品質にしても安全管理にしても厳しく教えていただいたので、今の僕があるのだと思います。

その会社にいたときに一番印象的だった出来事は、テナントの塗装をしたときです。木部とサッシ枠が隣通しにある部分の塗装をしていたのですが、マスキングテープを使わずに自分の腕だけで仕上げようとしていました。その時に言われたのが、「手間を惜しむな」ということです。技術があるのはわかるが、世界一見切りを取るのが上手い人でも、テープを使って仕上げた方が美しく仕上がるのだから、その手間を惜しんではいけないと教わりました。

その会社に5年半勤めて、22歳のときに独立しました。当時は市川塗装という会社名で会社を立ち上げました。しかし、22歳という歳で、戸建住宅も任せてもらえず、建設業者さんともお付き合いをさせてはもらえませんでした。そこで、手伝いまわりといって、他社さんで、「一日いくら」という契約でお手伝いをさせてもらうということをやっていました。

その後24歳のときに一度会社をたたみ、3年間水戸の塗装会社に勤めました。その会社では職人のトップとして勤めさせていただいたのですが、その会社に勤めて、僕はやはり自分の思う通りにプランを提案したりすることが好きなのだなと再認識しました。営業も好きだし、現場も好きだし、塗料などにこだわりたいというのがありましたので、勤めるというより、自分の会社を持つ方が向いているのだと改めて思いました。

そして、27歳のときに「匠の化粧屋」という名前で新しく会社を立ち上げました。そのときに、最初に考えたのがロゴを作りたいということでした。そういう隅々までこだわって会社を作りたいと思いました。書類一枚、ロゴ一つにもこだわって会社を作ることでブランドを作っていく、そうすることで自分のモチベーションが上がるのではないかと考えました。

その頃には、信用される技術も身につけていましたので、外構屋さんや知り合いの方から、ホームセンターさんや工務店さんなどを紹介していただいて、お仕事をいただくことが出来ました。一件の信頼から、二件目のお仕事をいただいて、その蓄積で今までやってこられたのだと思います。

「匠の化粧屋」という会社を立ち上げて、今では5年になりますが、市川塗装のときとの違いは、気持ちの違いだと思います。人に対する気持ちや、自分のブランドに対する気持ち、塗料に対するこだわり、お客様に対する対応、全ての気持ちが違っていると思います。また。書類一つとっても、それぞれのプランのパック料金一つとっても、より分かりやすく説明する力が身についたかなと思います。